2018.07.27.(Fri)
*さらなる思い出 ※虫注意
※個人的な思い出話です。読んでも損にも得にもならないかと思います、、すみません。
私が小学校低学年〜中学年?くらいの頃。
幼なじみのYちゃんと遊んでいると、馴染みの道路に面した植え込みに、見慣れないものを発見しました。
それは、巨大なイモムシでした。
長さはおよそ7センチほどなのですが、太さが2センチほどもあって どでかい。
色は青みがかった緑色と記憶しています。
普通の大きさの青虫や毛虫は見慣れていましたが、このような大きなイモムシは初めて見たので、とにかく異様なインパクトがありました。
嘘みたいにでかいので、ある種のファンタジーを感じました(謎)
その日、かなり遠くの方まで道路に添って歩いて行ったのですが、他の場所の植え込みでも同じようなイモムシを見つけました。
しかし、それ以後はそんなに大きいイモムシを見かけることは一切なく(別段探しもしなかったからかもしれない)、
その記憶が遠ざかるに従って、段々とその記憶は夢だったのではないか?
不思議の国のアリス症候群だったのかな?
などと疑問に思うようになっていきました。
なら調べてみればよかったのですが、私は思春期以降は虫が物凄く苦手になってしまい、イモムシについて調べるということが大変にハードルの高いことだったので……。
昨日なんとなく意を決し、調べてみたところ、どうもスズメガの仲間の幼虫ではないかということがわかりました。
夢じゃなかった……!!!
よかったです(何が)。
以前に、ミニタマネギ=万両の種 ということが判明したことがありました(2009.07.16の日記参照)。
その時と同じような感慨深さがあります(;´∀`)
わかってみれば なーんだ ということなのですが、幼いころは色んなことがファンタジーでしたね。
日常や現実のすぐそばにファンタジーがあります。
日常や現実=ファンタジー・非日常 かもしれません。
Yちゃん、きっとミニタマネギやら巨大イモムシのことなんて覚えてないだろうな…(^_^;
2018.07.13.(Fri)
*思い出
先日、ここに娘のクラスの学級崩壊や、いじめなどのことについて書いていたのですが、悲しくなったので削除してしまいました。
代わりに全く関係のない思い出を書きます。
謄写版のことです。
ガリ版といったほうが知られているかもしれません。
ガリ版というのは昔の印刷方法で、簡単に言うと蝋の塗られた紙に鉄筆で絵や字を書くと、その削れた部分が印刷されるというもの。
昔々、我が家(私が小学生頃)の年賀状は、ガリ版でした。
正しく言うと、木版とガリ版かな。
うちの年賀状は決まって、干支に絡めた植物がテーマになっていました。
植物専門の理科教師である父の意向で、例えば戌年なら、イヌタデだとかオオイヌノフグリだとか、「犬」に絡んだ植物を選び、
絵の得意な母(現在は植物画を描いたり教えたりして暮らしています)が植物の絵を描いて、
父がその植物についての薀蓄や名前の由来を書くのです。
その文章と差出人欄の住所と氏名を、ガリ版で。
母が描いた植物画を下絵にして父が木板に彫って、絵は木版で(ゴム版のこともあった?)。
そして、父が次々と刷る年賀状を、墨が乾くまで床に次々並べて乾かすことが私や兄の仕事でした。
さらに、母は刷り終わった年賀状に水彩絵の具で簡単に彩色しておりました。
何百枚とあったので、今考えるとものすごい手間ですよね。。。
我が家の年賀状制作は、父と母の共同制作、更には家族総出の大仕事のような感じでした。
きっとこんな家庭は珍しかったのではないかなと……。
おそらく父母が教師だったから、ガリ版セットもあったのでしょうし……。
(1970〜80年代ごろまで、学校のプリントはガリ版で刷られていたため)
それとも、当時は一般的だったのかな?
今はもうガリ版ってなくなっていってしまうのかなと思ったら、何だか淋しくて、思い出を綴りたくなってしまいました。
活版印刷も、和文タイプライターも、その機械自体はとっくに新しく作られなくなっていますから、謄写版も同じなのでしょう。
色んな意味で、もうあんな年賀状は二度と作れないんだなと思うと、せつないです。
今でも母が父に倣って、干支に絡めた植物をテーマに線画を描いて年賀状にしていますが、当然ながら普通のプリンタで印刷しております。
当たり前なんだけど、なんだか寂しいです。
自分でもプリンタで年賀状を作っているけれど、木版やプリントゴッコやガリ版みたいな、素朴さや美しさや味のある印刷はできません。
昔の印刷方法は不便だけど、美しいなと思うことが多いです。
活版印刷三日月堂を読んでいて、そんなことを思い出しました。
3作目まで読み終えたので、8月に発売予定の4作目が楽しみです。
よわね。しんどい日々です。娘が一番しんどいであろうけど。